意識中くらい系パンダ

超絶意識低い系無気力人間だったけど最近少し意識高くなった人の話

高級ホテルに宿泊するカップルの彼女は8割美人説

今週のお題「紅葉」

 

 

京都は言わずと知れた観光地だ。

 

日本の伝統的な建造物や文化が多く残り、外国人のみならず、日本人にも人気がある。

 

だが、京都の魅力はそれだけではない。

美味しい料理もあれば、温泉もある。

京都の街中から離れて海側へ行けば、日本三景の一つ、有名な天橋立がある。

春には桜の名所がたくさんあり、そして秋には紅葉の名所も多い。

 

私はある時期、毎年のように秋の京都へ旅行に行っていた。

だいたい11月中旬から12月初旬くらいだ。

この季節に行くのは、紅葉と温泉が目的だった。

 

京都は人気の観光地なので、それなりの立地のそこそこのホテルに泊まるとどうしても宿泊費が高めになる。

だいたい1人1泊3万円くらいだったと思う。

するとある時、気がついたことがあった。

 

宿泊客のカップルをみると彼女が美人ばかりだ…

 

全体の上位2割を美人だと定義すると、自分の基準では8割がそれに当てはまるように思えた。

一方で、彼氏の方はいろいろで、そうでもない人も多く思えた。

 

京都は美人が多いのだろうか。

いや、京都の宿泊客なら京都人はむしろ少ない筈だ。

 

そしてその後、他の地域へ旅行に行ったときも、高級ホテル(といっても私が行けるところなのでたかが知れているが)に宿泊し、周りのカップルを観察すると、やはり同じように感じた。

 

彼氏がいる女性なので、平均的には美人で当然なのだろうか。

いや、それもあるはずだが、普段街中で見かけるカップルはそこまででもない。

 

高級ホテルは照明がよく、綺麗に見えているだけなのだろうか。

いや、家族連れの奥さんはそうでもないように見える(大変失礼だが…)

 

家族連れに比べて若いから美人に見えているのだろうか。

いや、あまりいないが若い女同士の宿泊客や、ホテル従業員の若い女性はそうでもなく見える(大変失礼だが…)

 

ピュアな私は特に理由を考えていなかったのだが、あるとき当たり前のことに気がついた。

 

美人だから高級ホテルに連れてきてもらえるのだ。

 

彼氏が旅行代のほとんど払っているのだとすると、宿泊代だけでも1泊6、7万円、その上交通費や昼食代などまでかかるので、一泊二日でもだいたい10万は超える。

多くの人にとっては少なくない出費のはず。

学生なら尚更だ。

 

彼女が美人だから、たった2、3日のために、多少無理してでもお金を出して良いところに連れてきているのだろう。

反対に、彼女が不細工であれば安ホテルで済ませたり、そもそも旅行に連れて行かず、家に泊まるだけなのかもしれない。

 

また、ある程度収入が増えたお父さんは、そこまで無理しなくても家族を高級ホテルに連れて行ける。

だから家族連れの奥さんは例外なのかもしれない。(著しく失礼だが…)

 

もちろん、高級ホテルに連れて行ってもらえていないことは、大事にされていないということと全く同義ではない。

 

美人だけど旅行自体にほとんど行ったことがないという人も知っている。

 

でも自分の友人や知り合いの話をいろいろ思い出すと…

この世はやはり残酷だ。

こうやって人生経験に差がついていくのだろうか。

 

ところでなぜこんなことを書いたのか。

私も良い経験を積めるサイクルに乗れるようになりたいと思ったからである。

別に旅行とかそんなちっぽけなことに限らず、人生に関わるいろいろなことについてだ。

もし、誰も助けてくれないのであれば、自分で頑張るしかない。

 

 

 

弱点が増えた日

 

 

下痢気味の人には分かると思うが、下痢になるとお尻を拭く回数が増える。

拭きすぎて血が出ることもある。

 

通常は下痢が治ると出血も収まる。

だがある日、酷い目にあった。

 

そのころ、私は椅子を買ったばかりだった。

その椅子は人間工学に基づいて長時間座っても疲れないという触れ込みの10万円近くする椅子だ。

 

私はよくその椅子にパンツ一枚で座っていた。

テレビをつけた状態で音楽を再生し、携帯をいじりながら本を読んでいた。

そうやっているといつも知らないうちに時間が過ぎているのだ。

 

そうしてどのくらい座っていたか分からないが、途中で違和感を感じ始めた。

何か股のあたりがヌルヌルしていたのだ。

 

驚いて立ち上がってみると、私の大事な椅子に赤いものがついていた。

 

これはまさか血か…?

よく考えると、最近、下痢が続いていて、綺麗好きの私はお尻を拭きまくっていた。

そのときからなんとなく微かな痛みを感じていた。

にもかかわらず、長時間座ってお尻に負担をかけたので、ついに大量出血したようだ。

 

(まさかこれは痔というやつなのか…)

 

人間工学に基づいて設計された椅子ではあったが、疲れは抑えられても痔までは抑えられなかったようだ。

 

とりあえず、翌日の夕方は当時付き合っていた人が家に来る予定だったが、キャンセルした。

まさか痔で出血して椅子と床を汚したなんて言えない。

そして、何よりまず出血を止めなくては。

 

とりあえずお尻にメンソレータムを塗り、トイレットペーパーを当ててその日はしのいだ。

 

しかしなかなか血が治らない。

病院に行くべきなのか。

「痔で病院に行く」ということに恥ずかしさがあったため、戸惑っていた。

 

とりあえずネットで調べてみよう。

ネットで調べると「痔は自然には治らない。何度も繰り返す。早く病院に行かないと手術になるぞ!」と脅している人がたくさんいた。

 

これはもう何はともあれ行ってみるしかない。

病院に行かなくても治るかもしれないが、ここはリスクを最小限に抑えたい。

翌日の朝、近所の病院へ行った。

 

医者「今日はどうしました?」

ワイ「お尻から出血してます」

医者「ちょっと見せてください」

ワイ(尻の穴見せろなんて気楽に言うなよ…)

医者「…これは痔ですね」

ワイ「うっ…そうですか」

 

心のどこかでこれは痔と呼ばれているものではなく、ただ単にお尻を拭きすぎているだけです、と言ってもらえるのではないかと期待していたが、現実を突きつけられてしまった。

また私の弱点が増えたと知った瞬間だった。

お腹だけでなく、お尻の穴までとは…。

 

ボラギノールのCMを笑って見ていられた無邪気な自分はもういない。

その代わり、これからは他人の痔の苦しみに少しは寄り添えるはずだ。

こうしてまたひとつ大人になったのだ。

 

医者「今ならまだ重症ではないので、薬を塗ってしばらく様子を見ましょう」

 

様子を見ると言っても自分の目で見ることはなかなか難しく、かと言ってまた病院に来いとも言われなかったので、とりあえず血や痛みが止まれば良いという解釈をした。

しかし、椅子が血だらけになるほどだったのに、これでも重症ではないのか。

これについては不幸中の幸いだった。

 

その後、1週間ほどは病院で出された飲み薬を飲み、座薬を入れて過ごした。

最初は自分で座薬を入れるのに手間取った。

座薬は体温で溶けるようにできているので、グズグズしていると中に入る前に溶けてしまう。

ネットでコツを調べながらやるとなんとかうまくいった。

これも一つの経験だ。

出来るだけ前向きに捉えようと頑張った。

 

こうしてなんとか治ったが、これからは下痢だけでなく、痔にも気をつけて生きて行かなくてはならない。

 

今までなぜウォシュレット付きトイレがこんなに流行っているのか分からなかった。

ウォシュレットは気持ちいいという変態的な話は聞いたことがあったが、痔の予防に効果があるとは知らなかったのだ。

 

その後、油断した時にまた出血したので、それ以降はウォシュレットを可能な限り使うようにしている。

それ以来、出血はほとんどなくなったが、常に気をつけるようになった。

 

 

 

この世で一番大切な「カネ」の話

 

だいぶ昔に読んだ本でとても面白いと思ったものがある。

西原理恵子さんの「この世で一番大切なカネの話」という本だ。

西原理恵子さんは漫画家だが、この本は漫画ではなく、自身の経験を綴った自伝的小説だ。

読んだのは何年も前なので細かい部分は忘れてしまったが、この本は本当にお勧めしたい。

この本を読んだことで自分の甘い考えが少し変わった気がする。

 

特に、下記の言葉が気に入っていた。

 

・自分探しの迷路は、「カネ」という視点を持てばぶっちぎれる

・自分で「カネ」を稼ぐということは、自由を手に入れることだった

 

将来は絵を描きたい、音楽をやりたい、と夢見ている人がいるとして、どうしたらその夢がかなうか、と考えるのではなく、どうしたらそれで稼げるか、という考え方をするべきだと書いている。

 

つまり「金にならなくてもいいから続けたい」というプライドだけでは結局続けられないが、金を稼ぐために自分をどう差別化するべきか、ということを考えれば、夢に近づける、ということだ。

 

私は昔、自分のやりたいことをやれてさえいれば収入なんてどうでも良い、と思っていた。

だが、実際には稼ぐ能力(私の場合は会社に稼がせる能力)を磨かなければ、やりたいことを続けることもできないのだ。

 

また、自分で金を稼ぐことで、誰かに依存した生活から抜け出せる、経済的な自立が自由を作る、ということも言っている。

 

 

自立というと、まれに一人暮らしできる家事能力があることを指して言っている人がいる。

しかし、一人で生きていくために経済力と家事能力のどちらが必須かといえば、間違いなく経済力の方だろう。

 

親元を離れてひとり暮らししていても、仕送りがないと生活できないようでは自立しているとは言えない。

仕送りを貰っていなくても、彼氏彼女や配偶者にお金をもらわないと生活できないようでは自立とは言えない。

ある特定の人がいなくなっただけで生活ができなくなるようでは、自立とは呼べない。

 

そして、原始時代や文明の未発達な地域なら別だが、大抵の場合、お金があれば家事なんかできなくても全然生きていける。

また、家事は覚えたらやればいいだけなのである程度はすぐにできるようになるが、お金を稼ぐことについては自分の価値を認めてくれてお金を払ってくれる人がいなければ稼ぎようがない。

それだけお金を稼ぐことは貴重なことなのだ。

 

ところで、働いて稼いでいるにしても、自立にはレベルがあると思う。

 

レベル1 : 仕事はしているが、自分の収入だけでは生活できない

レベル2 : 生活するに十分な収入はあるが、自分の会社や特定の顧客がいなくなったら生活できない

レベル3 : 十分な収入があり、自分の会社や特定の顧客がいなくなっても、いくらでも代わりがいる

 

私はおそらくレベル2になると思うので、これからはレベル3を目指したい。

 

お金があれば「嫌なやつに頭を下げなくて済む」。

これは西原理恵子さんも言っていた。

 

お金では買えないものがあるのは確かだが、お金があれば、好きなことを続けられるのだ。

 

金儲けなんて汚い、とか言っている場合ではない。

 

 

 

 

 

 

 

葬式でウケをとる坊主

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

(前回の続き)

 

 

父の葬式にて…

ワイ(うう…お父さん、何もしてあげられなくてごめん…)

坊主「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏

ワイ(バカにしてたけど、お経って遺族にとっては少しだけ癒しになるものなんだな)

坊主「なーむーあぁぁみぃだぁぁぁぁぁぶつ!!」

幼稚園生甥「ぷっ、うひひひ」

坊主「なんまんだーなんまんだー…なん…ヘックショイ!」

甥「ふひひひひ」

ワイ(なに葬式でウケとっとんねん…)

 

 

今まで何回か法事にでてきて、いろんなお坊さんに会った。

基本的に皆優しそうな雰囲気を持っているが、バックグラウンドや風貌など、いろいろな人がいる。

お坊さんなのに髪の毛が伸びている人や、元大学教授だという人、話し好きの人など、それぞれだ。

 

そしてお経の読み方も個性がある。

いかにも棒読みの人がいるかと思えば、やたら抑揚をつける人、極端に長い人などもいる。

 

以前、テレビでお坊さんが、お経を忘れて終わり方が分からなくなると長くなってしまう、と言っていたが、極端に長い人はそういうことなのかもしれない。

 

これまで個性的過ぎて志村けんのコントに出てきそうな人を何人も見てきた。

甥にとっての祖父の葬式という場にも関わらず、笑ってしまっても無理はない。

 

タイトルを見るとお坊さんに怒っているのかと思われるかもしれないが、全くそんなことはない。

子供の頃は何故葬式なんかのためにお金と時間を使うのか分からなかったが、大人になって少し分かった。

 

亡くなった人のために何もしてあげられなかったという気持ちがあっても、亡くなった後で出来ることは葬式や墓参りくらいしかないのだ。

もちろん、もう亡くなってしまった人にとって、これが何かの役に立つとは考え難い。

それでもこの儀式を行うことで遺族の心の整理には役立っているかもしれない。

今はそう思うようになった。

 

 

葬式にて 坊主「南無阿弥陀」甥「うひひひ」

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

 

 

父の葬式にて…

ワイ(うう…お父さん、何も親孝行できなくてごめん)

坊主「なーむーあぁぁみぃだぁぁぁぁぁぶつ!!!」

甥「ぷっ、うひひひひ」

ワイ(こいつ、葬式で何笑っとんねん…)

 

 

父が亡くなったとき、私は家に篭って泣きまくった。

葬式のときは人前なので、私も他の家族も出来るだけ泣かないようにしていたが泣くのを我慢しているのが分かったし、母は堪えきれずに泣いていた。

 

しかし、兄の子である小学校入学前の甥、すなわち父にとっての孫だけは違った。

大して気にしている風でもなく、いつも通りだった。

それどころか坊さんがお経を読んでいる途中、読み方が面白かったのか笑っていた。

 

葬式中の不謹慎な笑い声で一瞬、「え?」と思ったが、もちろん誰もそのことに怒ったりはしない。

 

子供だからよく分かっていないのだろうし、冷静に考えると、おじいちゃんというのは案外そんなものなのかもしれない。

 

実は私もそんな感じだったのだ。

 

私の祖父が亡くなったのは、私が小学生のときだった。

初めての身内の死に戸惑い、悲しんだが、葬式では笑いはしないまでもいつも通りだった。

そして四十九日になればお経の読み方で笑ったり、強面のお坊さんのことを「海坊主」とか呼んで遊んだりしていた。

 

しかし、父が亡くなったときは、私はすでに大人であったにも関わらず、家では泣きまくったし、葬式でも四十九日でも笑ってはいられなかった。

 

やはり一家の大黒柱となり、身を削って育ててくれた父だ。

何もしてあげられなかったことを心底悔やんだ。

 

 

一方、私の祖父母が亡くなったとき、両親は泣くのを堪えていたと思う。

今思うと、法事中にふざける私を見てどう思っていただろうか。

 

「こいつ…」と思っていたかもしれないし、「まあそんなもんか」と思っていたかもしれない。

いずれにしても怒られることはなかった。

 

結局、こういうことなのかもしれない。

祖父母の死を一番悲しむのは父母の役目。

父母の死を一番悲しむのは私の役目。

 

だから父の葬式で甥が楽しそうにしていても、優しく見守ってあげなくては。

 

 

 

 

お腹が弱い人のためのアイスの食べ方

今週のお題「ひんやり飯」

 

 

前回と似たような話になってしまうが、私はお腹を壊しやすい。

 

小学生低学年の頃は何も考えずにアイスだのかき氷だの食べまくっていたが、高学年になるとほとんど食べなくなっていた。

なぜなら、学校で大便したくなかったからだ。

 

お腹を壊しているとどうしてもトイレへ行かざるを得なくなる。

都会の学校の事情はよく知らないが、田舎の学校ではいろいろ言われるのだ。

社会人、大学生、高校生にもなれば大した問題ではないが、中学生以下では面倒なことになる。

そのため、気を遣うようになったのであった。

 

だが、アイスを食べないようにする、というのは友人付き合いをする上で難しいこともある。

そういうときは、アイスをすぐに飲み込むことはせず、口の中で出来るだけ温めて溶かしてから少しずつ飲み込むようにしていた。

急に冷たいものを飲み込むとお腹が冷えるからだ。

 

今では休み前など多少お腹を壊してもそれほど問題にならない日には、アイスやかき氷を食べることがある。

昔の癖でアイスは口の中で溶かしながらゆっくり食べる。

そうするとお腹を壊しにくい。

この食べ方はお腹が弱い人には推奨したい。

 

これはアイス以外を食べるときにも使える食べ方だが、私もたまに油断してしまうことがある。

以前、ある地方都市に用事があり、一人で行った。

その地域では冷やし中華が名物だというので、お店を探して行ってみた。

しかし、氷がたくさん入れられてよく冷やされた冷やし中華を食べ、お腹を壊してしまった。

これも本来ならゆっくり食べなくてはならなかったのだが、冷やし中華でお腹を壊すという認識がなく、また、一人で来ていたため、つい早食いしてしまったのだ。

 

基本的には暖かいものだけを食べるのが良いが、それができないときには上記を気をつけることでかなりマシになるはずだ。

 

 

平成最後の夏も腹を壊す

今週のお題「#平成最後の夏」

 

 

私はよくお腹を壊す。

ここまで便秘とはほぼ無縁の人生であった。

 

会社に到着して最初の仕事は専らトイレへ行くことだ。

給料を頂きながらうんこ出来るなんて、学生の頃は想像もしていなかった。

 

だが、下痢によって私の人生はどれほど薄められているのだろう。

私は下痢のために多くの時間を費やしてしまっている。

 

会社の先輩にも毎朝トイレへ行ったまま5〜10分帰ってこない人がいるのだが、もしかすると私と同じことを感じているかもしれない。

一度そのことについてディスカッションしてみたい気持ちもあるが、嫌がられるかもしれないとの考えが先行し、今のところ何もアクションしていない。

 

私は冬によくお腹を壊す。

寒いからお腹が冷えやすいのだ。

特に寝るとき、お腹に布団がかけられていなかったがために、冷えて次の日によくお腹を壊した。

 

その要因については、厚着をしたり、お腹にホッカイロを貼ったり、お腹にだけはしっかり布団を掛けて寝るようにすることで、かなり予防できるようになった。

 

しかし、今年のように死ぬほど暑い夏でも、私はやはりお腹を壊している。

特に今年はひどい下痢が続くことがよくあった。

 

私にとってお腹を壊すことは日常茶飯事なので、これまではそれほど原因を追求しようとは思わなかった。

食べ過ぎが原因だろう、コーヒーなどの刺激物が原因だろう、辛いものを食べたことが原因だろう、、、とぼんやり考えるのみだった。

 

しかし、今年は下痢が長引くことが多かったので、何か病気なのではないか、と少し不安になってきた。

 

だが、病院に行っていきなり大腸カメラを飲むことになってしまってもしんどい…

そう思い、まずはインターネットで調べてみた。

 

「お腹を壊しやすい  何故」と検索してみたところ、「過敏性腸症候群」というワードが目に飛び込んできた。

 

過敏性腸症候群の特徴の一つとして、月に3日以上お腹を壊す、とあったが、私は完全にそれを上回る。

日本人の14%は過敏性腸症候群らしい。

私よりお腹を壊しやすい人はそう見ないので、14%だったら十分可能性のある話だ。

 

そして、最近この症状を緩和させる、科学的な根拠を持った食事法が発表されたそうだ。

その内容は発酵性の糖類を避けるというもので、例えば、小麦、フライドポテト、納豆、牛乳・ヨーグルト、果物などを食べないようにする、という、これまでの常識とは異なる意外なものであった。

 

昔から牛乳を飲んでお腹を壊すことはよくあった。

しかし、小麦や納豆、果物などについては意識したことがなかったし、ヨーグルトについてはむしろ真逆のイメージだった。

 

ただ、今年は例年よりもパンや納豆、果物を多く食べていたので、試しに食べるのをやめてみた。

不思議なことに、ここ2週間くらいはお腹の調子が良い。

 

食事の効果があったのか不明だが、もしこれで下痢と無縁になるのであれば、私の人生は大きく変わるだろう。

もし全く効果がないのだとすれば、私にとって平成最後の茶番になるだろう。